アラスカ ギャンベル村
2004年 12月 08日
今年の5月、アラスカの北の果て、セントローレンス島のギャンベルという村へ行きました。
村の人口は約600人。ほとんどがシベリア・ユピック族の小さな小さな村でした。日本からは、シアトル、アンカレッジ、ノーム経由でアンカレッジに1泊しつつ、約2日。直行で行くのは無理なところです。
5月も終わりという時期だったのに、今12月の日本より、多分寒かったと思います。夜の11時頃まで明るいままで、薄暗くなったと思ったら朝4時ころにはもう昼間のように明るくなる。本当に不思議な体験でした。
決して裕福とはいえない。海獣漁を主な糧とする住民たちは、それでもとてもやさしく、暖かでした。極寒の地での人の暖かさ。心にしみました。
今でも思い出すと涙が出そうです。
私が寒そうにしていると、「うちに来ていいよ。」と声をかけてくれた家の中は快適。暖かい紅茶を入れてくれて、一緒にポップコーンを食べました。なぜ、見ず知らずの日本から来たこんな私にこんなに親切にしてくれるのだろう。なぜ。
ロシア人に発見されながら、アメリカに売られ、冷戦時代に国境の村として存在し、今にいたっている小さな小さな村。
そんなところがこの地球上にあって、私はそこに行った、という事実だけで強く生きて行けそうな気がします。
村の人口は約600人。ほとんどがシベリア・ユピック族の小さな小さな村でした。日本からは、シアトル、アンカレッジ、ノーム経由でアンカレッジに1泊しつつ、約2日。直行で行くのは無理なところです。
5月も終わりという時期だったのに、今12月の日本より、多分寒かったと思います。夜の11時頃まで明るいままで、薄暗くなったと思ったら朝4時ころにはもう昼間のように明るくなる。本当に不思議な体験でした。
決して裕福とはいえない。海獣漁を主な糧とする住民たちは、それでもとてもやさしく、暖かでした。極寒の地での人の暖かさ。心にしみました。
今でも思い出すと涙が出そうです。
私が寒そうにしていると、「うちに来ていいよ。」と声をかけてくれた家の中は快適。暖かい紅茶を入れてくれて、一緒にポップコーンを食べました。なぜ、見ず知らずの日本から来たこんな私にこんなに親切にしてくれるのだろう。なぜ。
ロシア人に発見されながら、アメリカに売られ、冷戦時代に国境の村として存在し、今にいたっている小さな小さな村。
そんなところがこの地球上にあって、私はそこに行った、という事実だけで強く生きて行けそうな気がします。
by seattleoutdoors
| 2004-12-08 20:00
| ギャンベル